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復興レポート

インタビュー | 特集
ふるさとツナグ絆11「上刈みかん保存会」
2020/12/23

 江戸時代後期から上刈地区の特産品として多く栽培されてきた「上刈みかん」。駅北地区市民公園竣工の際にも、記念樹としてみかんの木がまちなかにやってきました。地区の宝として後世に残していこうと「上刈みかん保存会」で活動する、上刈区長の齊藤さんと地元老人会「柏寿会」会長の西澤さんにお話を伺いました。


上刈みかんと糸魚川の暮らし

上刈みかん保存会 会長 柏寿会 会長 西澤 洋一(にしざわよういち)さん

上刈みかん保存会 会長 柏寿会 会長 西澤 洋一(にしざわよういち)さん

 冬が近づくと、スーパーなどの店先を鮮やかなオレンジ色に染めるみかん。日本だけでも80種類以上のみかんが栽培されていると言われ、その特徴はさまざまです。糸魚川に古くから伝わる「上刈みかん」は、小ぶりで扁平、種も多く、酸味もやや強い柑子みかんと呼ばれる品種の一種。カラタチの台木に柑子みかんを接ぎ木した原種的存在です。江戸時代後期から上刈地区を中心に、正月飾りや、種が多いことから子孫繁栄を意味する「縁起物」として、大切に育てられてきました。最盛期の明治時代後期には、年間で102tを収穫し、富山県東部や長野県安曇地方などの近県にも出荷するほど、広がりを見せていました。家庭で栽培されることも増え、毎年収穫が終わった冬の時期になると、防寒具に身を固めた女性たちが、まちなかの雁木下で升売りを始めます。その姿は年の瀬の風物詩となり、今でも「ふるさと自慢 糸魚川かるた」の中で語り継がれています。


先人の知恵で守られた歴史

上刈区 区長 齊藤 和義(さいとうかずよし)さん

上刈区 区長 齊藤 和義(さいとうかずよし)さん

 毎年5月から6月にかけて星形の小さな白い花を咲かせ、上刈地区に爽やかな柑橘系の香りを運ぶ上刈みかんですが、その管理は決して容易ではありません。もともと温暖な気候を好む柑橘類であるため、日照時間が短く降雪地帯の日本海沿いでは難しいとされてきました。しかし、それでも糸魚川で栽培し続けることができたのは、昔から雪国に暮らす農家の皆さんの知恵があったから。みかん栽培において、糸魚川地域は1月と2月のみ最低気温条件を下回るものの、沿岸を北上している対馬暖流の影響もあり、年間平均温度条件はほぼ満たしていました。そのため1月、2月を「みかん巻き(ほだ巻き)」といわれる冬囲いで強風や降雪から守ることで、栽培を可能にしました。当時の糸魚川は、柑子みかん栽培の北限としても知られ、苗木は北前船によって石川の和島、京都の宮津、島根の出雲地方にも運ばれたと伝えられているそうです。


「上刈みかん保存会」の成り立ち

 そんな歴史ある上刈みかんも大正時代に入ると、急速に衰退し始めます。枯死や伐採などにより作地面積が減少していったことと、1912年の北陸線開通によって、大粒で甘い温州みかんが流通し始めたことが理由とされています。冬場の重労働も相まって、栽培者も減少。最盛期には1,000本以上あった木も、1955年頃には約50本、1980年頃にはわずか12本にまで減ってしまったそう。それまでは「できるだけ自分たちの力で」と、知識ある柏寿会の方々を中心に育ててきましたが、危機的状況を目の当たりにしたことで、2012年からは「上刈みかん保存会」を設立し、市からまちづくりパワーアップ事業のサポートを受けながら、より一層保存と管理に力を入れていくようになりました。
 2005年には苗木を増やそうと、原木からの接ぎ木を試みたこともありましたが、市内では失敗。市も協力して鹿児島県鹿屋市と連携を取り、接ぎ木に成功した100本の苗木を空輸で運んでもらいました。1本500円で上刈地区の家庭に販売したり、フォッサマグナミュージアムの前庭や美山市営住宅付近のみかん畑に植樹したりして、普及に専念。2年前からは回覧板での呼びかけにより、柏寿会の会員だけでなく地元民も保存会として協力体制をとるようになりました。今年の収穫作業には、28人のボランティアが参加。柏寿会と保存会の両会長を務めている西澤さんは「柏寿会メンバーは要請があれば行くようにしていますが、最近は区の若い方や、区外の人も手伝ってくれるので助かっています」と笑います。現在では、市内5か所に点在している約30本の木を一丸となって管理しています。

本町西市民公園(写真左)と浜町北市民公園に植樹されている みかんの木は、保存会から寄贈されたもの

本町西市民公園(写真左)と浜町北市民公園に植樹されているみかんの木は、保存会から寄贈されたもの


地域ぐるみで

 江戸時代には「糸魚川みかん」の別名を持つほど、盛んだった上刈みかん。2019年、市民公園にも植樹されたことで、再び市民に注目され始め、12月の大火周年事業でも来場者にプレゼントするなどして、徐々に認知度を復活させてきました。「眠っていた上刈みかんが再び見直され、まちで育ててもらえて嬉しい」と話す齊藤区長。名刺の裏には“上刈にある2つの宝は薬師堂と上刈みかん”と書かれていました。
 おいしく食べられるようになるまでには、5月の肥料まき、11月末の収穫、12月のみかん巻き、3月のみかん巻きの解体、定期的な水やりと草刈りなど、たくさんの手間をかけてこそ。収穫されたみかんは、上刈会館で一部を販売していますが、それ以外は、土地を貸してくれている方や、収穫を手伝ってくれた方に配るほか、市内施設に無償で寄付しています。そのため、維持管理費や人材の確保にはまだまだ苦戦しているそう。齊藤区長は、「かるたにも載るくらい、上刈みかんは糸魚川の財産だった。古いものを忘れずに、みんなで学びながら新しい時代へ進んでいくことが大事」と言い、今後も一生懸命取り組んでいくことを西澤さんと誓い合いました。


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