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復興レポート

インタビュー | 特集
縁の下のチカラ持ち1「生活支援相談員」
2019/03/13

 「生活支援相談員」という仕事を知っていますか? 大規模災害の被災地において、仮設住宅などで暮らす被災者を訪問し、相談や情報提供といった支援を行う職員のことです。今回は、駅北大火によって配置、約2年間の任期を務めた二人の相談員にお話を伺いました。


被災された方のケアを

社会福祉協議会 生活支援相談員 水嶋 賀子(みずしま よしこ)さん

社会福祉協議会 生活支援相談員
水嶋 賀子(みずしま よしこ)さん

 二人が駅北大火の生活支援相談員として配置されたのは、大火翌年の平成29年7月1日からでした。まずは対象の世帯の皆さんに顔を覚えてもらうために、市の健康増進課に所属する保健師や看護師に同行し、全戸訪問を実施しました。その後は、継続的に訪問活動をしながら、気持ちをリフレッシュしてもらおうと近隣県への日帰り旅行を企画したり、料理教室、体操教室といった気軽に集まれるイベントを主催したりして、公共性の高い民間組織として市民に寄り添った活動を行ってきました。
 相談員として活動する加藤亜祐美さんは、埼玉からUターンし、大火当時は福祉事務所の臨時職員として働いていました。大火直後は支援物資の担当をしていましたが、そこで「顔見知りになった被災者の方々の力になりたい」と、相談員に応募。そんな加藤さんとペアを組むのは、長年、社会福祉協議会で福祉に関わってきた水嶋賀子さんです。ベテランとはいえ水嶋さんも初めての経験となった大規模災害に、相談員として二人三脚の活動が始まりました。


支援の手を届けたい

社会福祉協議会 生活支援相談員 加藤 亜祐美(かとう あゆみ)さん

社会福祉協議会 生活支援相談員
加藤 亜祐美(かとう あゆみ)さん

 相談員は、被災した各世帯を訪問することが主な活動です。初回の所感と家族構成などを踏まえて訪問頻度を決定し、「まずは親しくならないと相談ごとも預けてもらえないから」と、つねに笑顔を絶やさなかったという二人。家などを失った悲しみの真っただ中にいる方々に対しては「元気を押しつけるのではなく、被災者の皆さんの現状や気持ちに寄り添って対応するようにしました」と水嶋さん。加藤さんも「相談を受けた時は私がその場で一時的に答えるのではなく、持ち帰って担当部署に引き継ぎ、対応してもらうよう心がけていました」と話し、まずは心を開いてもらう努力を積み重ねました。
 相談員が配置される前の大火発生直後は「何が何だか分からなくて、打ち合わせや会議では息つく間もなく話が進み、最初の数日間は本当に大変でした」と、当時を振り返ります。大火がテレビで報道されたことで全国からボランティアの問い合わせが殺到し、支援に対する受け入れ態勢が早急に求められていたのです。普段から勉強会や訓練はしてきましたが、実体験では初となる大災害と、“まさか糸魚川が”という思いから、スムーズな業務を行うまでに気持ちを整える必要がありました。


心境の変化とともに

 これまでの生活拠点を失い、被災者は多くの困難と直面します。例えば、一戸建ての生活から一転して、仮設住宅での共同生活。命には代えられないと現場に残してきた大切なものへの後悔。慣れ親しんだ元の場所で家を再建するのか、今までとは違う生活をスタートさせるのかという葛藤も多く聞かれました。そこから人々の中に前向きな気持ちが芽生え始めるのは、まちの再建が進み、新しい住宅に移ったり、生活の見通しが立ち始めた頃だといいます。「家が完成すると皆さん表情が変わるんですよね。その変化を見た時は心から『よかった!』と思いました」と笑顔の加藤さん。その頃には、社会福祉協議会が企画したイベントで「参加してよかった」「楽しかったよ」という前向きな感想が聞こえることも多くなりました。こうした被災者の心境の変化に触れたことが、二人の仕事に対するさらなる活力に繋がっていったのです。
 しかし、相談員として約2年間の任期を経て、二人には心残りもありました。被災者の方から「もっとこうして欲しかった」と、このタイミングでようやく要望を打ち明けられたこともあったそうです。力不足を感じると同時に、「今後は区長さんや民生委員さんなど、必ず誰かに相談してほしいなと思います」と、その切実な思いをにじませていました。

 


再建が進む「今」に思うこと

取材中も終始仲のいい掛け合いを見せてくれた二人

取材中も終始仲のいい掛け合いを見せてくれた二人

 糸魚川のまちは今、駅北大火の復興・再建を足掛かりに「にぎわいのあるまちづくり」に取り組んでいます。徐々に街並みが戻り、2年もの時間が経ってくると、世間から「復興した」という見え方をされてしまうことに、二人は一抹の不安を感じていました。住居が新しくなったとしても、中には転居で大火以前のようなご近所同士のつながりが途絶えてしまった方もあり、高齢者が生活する上で、不便さや孤独感は拭いきれません。若い世帯へのサポートやまちのにぎわいも重要としながらも、「その前段階には、住民がいかに住みやすく元気に生活していくかが大切だと思います。皆さん我慢強いので、愚痴とか不安や不満を言葉にされる方って少ないんですよね」と、なかなか声が上がってこない実情を吐露する加藤さん。水嶋さんも「被災者の中には高齢の方もいますから、そこも汲み取ってもらえる活動を期待したいです」とこれからのまちづくりを見守ります。
 今年4月、待ちに待った復興住宅が完成します。入居予定の被災者は引っ越しの準備に励むなど、心待ちにする声が多くなってきました。入れ替わるように、3月で駅北大火の生活支援相談員としての活動に幕が下ります。最後の1ヶ月は、これまで訪問対象ではなかった世帯も含めて訪問、二人で挨拶に回る予定です。水嶋さんが「私と彼女では年が離れているんですけど、違う視点で物事を考えられたのでお互いにとってよかったと思っています」とこれまでを振り返ると、感慨深げに「ありがとうございました。最後までよろしくお願いします」と言葉を返す加藤さん。こうして被災地は、また新たなスタートを迎えようとしています。

 


加藤さんに聞きました! 被災時の支援物資アレコレ

 

Q.どんなものが喜ばれましたか?
A.被災された方に喜ばれたのは布団や長靴、それに消耗品関係ですね。トイレットペーパー、お米やお餅…あと、火災だったこともあって消火器も喜ばれました。

Q.逆に受け取りが少なかった、困ったりしたものは…?
A.意外と受け取りが少なかったのは食器です。引っ越すときのことを考えて荷物になるからって。困ったのは、傷みの目立つ古着とか、値札が付いたままの古い反物みたいなものですね…(苦笑)

支援してくれたことに感謝の気もちがあるからこそ、困ることもあるそうです。
支援物資を送る前には、今一度「自分だったら何が必要か」を考えてみましょう。

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