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復興レポート

インタビュー | 特集
縁の下のチカラ持ち5「復興まちづくり情報センター」
2020/03/11

 およそ2年間に渡り、被災者の相談や復興に関する情報発信の現地拠点として開設していた「復興まちづくり情報センター」(以下、情報センター)が、駅北広場「キターレ」の新設に伴い3月末で閉館することになりました。今回は、情報センターの顔として活躍していただいた「大火復興集落支援員」のお二人に思いの丈を伺いました。


大火復興集落支援員

大火復興集落支援員 矢島 好美(やじま よしみ)さん

 糸魚川駅から歩いて1分、いとよ広場を曲がった角にある情報センター。大火を受け、市が駅北地域の中心に情報センターを設置したのは、大火から10ヶ月後の2017年10月末のことでした。被災地は一部の区画を除き、住宅再建が可能となった頃で、更地となったまちに復興の槌音が響き始めていました。

 そんななか、大火復興集落支援員として情報センターに配置された矢島好美さん(10月着任)と斉藤美穂子さん(12月着任)。一般的な集落支援員は、1つの地域につき1人、主に高齢化が進む集落の活性化を支援します。しかし、大火復興集落支援員は情報センターを拠点に、被災者や周辺住民が集える場づくりや、駅北地域のまちづくり活動を支援していくことが求められていました。また、年末年始以外は土日祝日でも対応できるよう、糸魚川の集落支援員としては初の2人体制での配置となりました。

大火復興集落支援員 斉藤 美穂子(さいとう みほこ)さん

 訪問者対応の合間には、Facebookなどを利用して復興情報を配信したり、地域行事の手伝いにまわったり、仕事は多岐に渡ります。情報センターには世代も状況も異なる多くの人が訪れるため柔軟な対応ができるよう日頃から情報収集は欠かせません。市から大火にまつわるレクチャーはあったものの、集落支援員の仕事は誰に教わるわけでもありません。地域が自立できるよう何がサポートできるかを自分で見つけて活動していかなければなりませんでした。


悩みと励み

宝引きの時間では笑顔が溢れる大町区民の皆さん

大町観音堂にて行われる月に1回の大町お楽しみ会にて

 同じ大火復興集落支援員でも仕事の役割はそれぞれ。それでも、“大火復興”にスポットを当てた集落支援員は前例がないので、何から始めたらいいのかというのは2人の共通する悩みでした。

 進学と就職で糸魚川を離れていた矢島さんは、「仕事の依頼がきても、最初は何もかもが新しいことばかりで不安だった」と話します。それでも励みになっていたのは、「よしみちゃんだよね? 懐かしいね」と声をかけてくれる駅北に住む同級生のお母さん達の存在や、糸魚川のために「駅北地域で何かしたい」と頼ってくれる若者の声でした。「誰かをサポートすることで、自分も励まされていました」と明るく話す矢島さん。学生の頃から商店街で働くことには憧れがあったと明かし、ふるさとで働けることの喜びを感じています。

 能生地域で生まれ育った斉藤さんは、「まずは地域に馴染まないと相談にも来てもらえない」と感じ、積極的にまちへ出て、あいさつをしながら顔を覚えてもらうところから始めました。月に2回発行しているHOPEの記事を、商店街を中心に毎月100軒近く配るなどしてきっかけをつくり、「だんだん打ち解けて、知っている顔が増えて、会話の輪が広がった」と話します。


まちの魅力

復興マルシェで司会もこなす矢島さん

 学生時代はよく駅北地域の商店街を歩いていたという斉藤さん。大人になった今、駅北地域を歩いていても学生は少なく、学校と自宅の往復だけになっているのではないかと感じています。斉藤さん自身も、大火の半年前にたまたま駅北のまち歩きをしたことがきっかけで、支援員への応募を決めました。まち歩きをしたときの記憶が新しいうちに大火が発生してしまい、「これから復興していく様子を、他人事とは思わず内側から見守りたい」という想いがありました。「地域に出ることで視野も広がり、新たな出会いと発見がある」と、自身の経験から地域を知ることの大切さを語ってくれました。

 着任当初は情報センターのことを被災された人のための施設だと思っていた斉藤さんですが、実際に働いてみると、かつて糸魚川で暮らしていた人や、糸魚川に縁がある人などが市外から訪れ、懐かしみながら昔話をされていくことも多かったそう。「2年間で、この仕事をしていなければ関わることのできなかった沢山の人に出会えて、駅北が自分のふるさとかのように思い入れのある場所になりました」と誇らしげに語ってくれました。矢島さんも、「まちの魅力に気づいていない人が多いのかも」と続け、若い世代の人には、地域の人に挨拶をして、積極的に地域の行事に参加してほしいと、一度ふるさとを離れたことで見えてくる糸魚川の良さを教えてくれました。

地域と向き合った2年間

お世話になった情報センター前で

 2年前、施設としても支援員としても全てが0からのスタートでした。大火からの復興に関わる「話題の職員」として、矢島さんは新聞やニュースに取り上げられることも多くありました。注目されている分、一部の人からは警戒されていると感じたこともあったと話します。配置された当初は、支援員の仕事に自信がなく、地域の人との信頼関係も築けていないため、心無い言葉に戸惑うこともありました。しかし、2年経って自分のこと、情報センターの役割のこと、支援員の仕事のことを知ってもらえて、ようやく「自分1人じゃできないけれど、一緒にやりましょうよ」と言える心の変化がありました。地域のことに関しても、聞かれたことに対してすぐ答えられるようになり、ユーモアを加えるなどして自分の言葉で話せるようになりました。「いつか今まで関わった人に、『2人がいてくれて助かったわ』と言ってもらえたら、支援できたのかな」と、回顧する矢島さん。

 出身も年齢も役割も異なる2人、デスクを並べて過ごした日々を振り返り、最後には地域の方へ「2年間、復興まちづくり情報センターを応援していただきありがとうございました」と感謝の声を揃えました。


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