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復興レポート

インタビュー | 特集
ふるさとツナグ絆6「東京糸魚川会」
2019/05/08

 これまでHOPEでは、市内で活躍している方々を取りあげてきましたが、市外にもふるさとを想い、糸魚川の発展のために活動する団体があります。そのひとつが、東京糸魚川会の皆さんです。首都圏に在住の糸魚川出身者で構成されている会員の中から今回は5人の方に集まっていただき、それぞれが抱く想いを伺いました。


首都圏で広がる地元の輪

(左から)齊藤清一さん、杉原良夫さん、宮森美里さん、利根川敬子さん、高間紀雄さん

(左から)齊藤清一さん、杉原良夫さん、宮森美里さん、利根川敬子さん、高間紀雄さん

 東京糸魚川会の歴史は古く、昭和28年4月に前身の「東京糸魚川会(おまんたかい)」として発足、平成19年に会の名称が「東京糸魚川会」に変更されてからも様々な活動を行ってきました。首都圏で物産展などの糸魚川をPRするイベントが開催されれば、その都度有志メンバーで応援に駆け付けているほか、新年会や総会などの懇親会、会報誌の発行などを通じて親睦を深め、同郷の輪を広げる機会を設けています。入会して2年目の利根川さんは、「共通点はふるさとが一緒ということだけなのに、組織がしっかりしていて、会社では教わらない大事なことを親ほど年の離れた世代の方達から楽しく学べる」と、会に参加できる喜びを話します。
 平成27年には、北陸新幹線の開業とともに創立60周年を迎えた東京糸魚川会。高間さんは幹部役員として記念事業を提案します。「北陸新幹線・糸魚川駅開業を祝う集い」と銘打ち、この記念すべき機会を逃すまいとイベント準備に必死でした。東京の人に糸魚川を知ってもらいたいという一心で、糸魚川からも商店街の方々をはじめ多くの市民を招き、総勢500人を超える大イベントになりました。企画の一端を担った杉原さんも「それに勝る印象深いイベントはないですね。準備中は深夜のメールやり取りもしばしば、徹夜もありました」と、慣れない作業に苦労したことを明かしつつ、いい思い出になったと笑顔をみせてくれました。


上京して見えた景色

北陸新幹線・糸魚川駅開業を祝う集いの様子

北陸新幹線・糸魚川駅開業を祝う集いの様子

 ふるさとを大切に思う気持ちは共有していても、上京したときの想いはそれぞれです。今からおよそ50年前、就職のために上京した宮森さんは、高校を卒業してすぐ働けることにわくわくしていて、「早く人の役に立ちたい」と希望を抱いてふるさとを離れました。当時は集団就職も多く、糸魚川から同じ会社に入社する友人が4~5人いたため、不安も寂しさも感じなかったそう。同時期に上京した杉原さんも「右も左も分からなかったけれど、地方出身者特有の言葉の苦労はありませんでした。東京の女性はなんでこんなにきれいなのだろう、と思いながら暮らしていました(笑)」と、明るく話します。しかし、その5年前に上京していた高間さんは少し違いました。昭和35年頃の糸魚川には仕事がなく、東京や大阪に出るのが当たり前という時代。「進学のための上京でしたが、帰ってこようなんて思わなくて、古い言葉で言うと『東京で一旗揚げてくるぞ』という気持ちでした」。7人兄弟という大家族だったために仕送りも僅かしか頼めなかったという高間さん。さらに、当時の東京-糸魚川間は列車でおよそ11時間もかかる長旅で、そう簡単に行き来は出来ませんでした。時代が変われば、環境も見える景色も変わります。ふるさとを離れるというのは苦労と高揚が伴いますが、そこには一人ひとりの物語がありました。


ふるさとに馳せる想い

東京糸魚川会の兄弟団体「NPO法人むらまち三世代」が行う物産展にて

東京糸魚川会の兄弟団体「NPO法人むらまち三世代」が行う物産展にて

 糸魚川市外から見た「駅北大火」は一体どのように映っていたのでしょうか。大火の発生は、糸魚川にいる友人からLINEで連絡を受けたという利根川さん。『延焼』という言葉の想像もつかないまま仕事をし、帰宅後、全国ニュースに映し出される『糸魚川』の文字と現実離れした映像を見て「だんだん鳥肌が立ちました」と、糸魚川市民と同じ心境だったことを明かします。5人全員が、離れた地で見守ることしかできない状況にもどかしさを感じながらも、つぶさに情報提供してくれるテレビやネットを頼りに過ごしていました。周りの人には心配やお見舞いの言葉と同時に「なぜ一人も逃げ遅れることがなかったのか」と聞かれることも多く、それについて宮森さんは、「一人で逃げるのではなく声掛けしながら皆で避難することが出来た地域性が素晴らしい。現代に一番大切な助け合いが当たり前に出来ていたことに、我が地元ながらとても感心した」と、誇らしげに語ります。その後、大火をきっかけに関心を持った友人を連れて糸魚川にいくこともあるそうで、他の4人も自慢のまちだと口々に話していました。

 


愛する糸魚川のために

昔話から最近の元号にまつわる話まで、会話が弾みました。

昔話から最近の元号にまつわる話まで、会話が弾みました。

 入会して10年目という糸魚川市東京事務所長の齊藤さんは、自身の節目を振り返り「高齢化によって後継者が入らず、どんどん低調になる出身者会も多い中、若手部や女性部などを組織し、総会のたびに新入会員の紹介があるのはすごいこと」と会の在り方を称えます。その言葉を皮切りに「活動を続ける根本にあるのは、糸魚川のことが好きだから、自分に出来ることはささやかでも力になりたい」と続く杉原さんに深くうなずく一同。これからの糸魚川について訊ねると、昨年2月に行った被災した子どもたちへのイベントを定例化していきたいという宮森さん。「糸魚川のことについては黙っていられない!(笑)図々しいと言われても、自分が生まれたまちのためならなんでも積極的に行動していきたい」と郷土愛と熱意にあふれた言葉が飛び出します。
 「糸魚川の良いところは残していきたいし、新しいことにも挑戦してほしい」。杉原さんのその言葉に表されるように、東京糸魚川会は“糸魚川のためになることをみんなでやろう”という志のもと活動している会です。近年、活動を理解し、協力してくれる糸魚川市民が増えてきていることにも感謝しながら、離れた土地でふるさとの更なる発展のために今日も奔走しています。

 


Information
高間 紀雄さん(77) 高間 紀雄さん(77)
事務局長、会計部長を兼務。5人の中で最長の入会18年目。会員からの信頼も厚く、年齢を感じさせないほどエネルギーに満ちた存在。
杉原 良夫さん(72) 杉原 良夫さん(72)
常任幹事、会報誌編集委員長を兼務。入会10年目。総務として全体を統括しつつ、裏方業務もこなすマルチな才能の持ち主。
宮森 美里さん(72) 宮森 美里さん(72)
常任幹事、女性部会長を兼務。入会10年目。男性の役員が多い中、女性らしい見解で、イベントの企画や立案、実行まで幅広く担う。
利根川 敬子さん(48) 利根川 敬子さん(48)
18歳で就職のため上京し、2年前に入会。普段は医療系施設に勤め、会では主に会報誌の編集やイベントスタッフとして活動。
齊藤 清一さん(53) 齊藤 清一さん(53)
ジオパークの発信拠点である「糸魚川市東京事務所」の所長を務める。43歳の時に上京し、7年前から幹事も担う。


東京糸魚川会には、今回集まっていただいた5人の方を含め正会員255人、賛同会員35人、総勢290人の会員が在籍しています。(2019年3月1日現在)詳しい活動の様子はHPをご覧ください。 http://tokyoitoigawakai.com

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