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復興レポート

インタビュー | 特集
必要なのは「会話の場」と「備え」
火災に強いまちづくり
2017/12/20

糸魚川市駅北大火から間もなく一年が経ちます。当時の体験談は生きた教訓であり、今後もこの地で生活していく上で学ぶべきことが多くあります。今回、被災地域の3区長に集まっていただき、当時の状況、今後のまちづくりについてお話を伺いました。

(左から)緑町区長 白沢賢二さん、新七区長 鷲澤勝治さん、大町区長 齋藤伸一さん

大火から今日に至るまで

「落ち着いたと実感できたのは年が明けてからでしたね」。お互いに顔を見合わせて当時の様子を振り返る大町区長齋藤さん、緑町区長白沢さん、新七区長鷲澤さん。糸魚川大火で被災した各区の要望を糸魚川市につなげるかけ橋として、火災発生翌日の12月23日から、中央区も合わせた合同4区で自主防災組織として活動を開始。市の防災対策本部だけでは回らない細やかな対応を、4区長が市の担当者と意見交換をしました。大晦日でも行われた会議の回数は31回にものぼり、当時仮住まいを転々とするしかなかった被災者の安否確認に奔走しました。こうして生まれた横のつながりから、一年が経った今でも被災地4区長会で当時を振り返り、防災の改善案の話し合いが続けられています。

必要なのは「会話の場」と「備え」

「これまでの一年間は被災した方へのケアとフォローが中心でした」と白沢さん。区の活動資金として配られた義援金を活用し、お楽しみ会や励ます会などを開催。市民会館では支援物資を渡すだけでなく、お茶と会話を楽しんでもらう場も設けました。着の身着のままで避難した人たちの「どうしたらいいんだ」という目先の話から、生活していての雑談も含め「話をすることが一番の楽しみ、安らぎだった」と被災された方は言います。今回の災害では、震災と違い周囲の店舗は営業していて食料には困りませんでしたが「運転免許証の焼失で車を運転できずに困った」という車社会ならではの体験談も聞かれました。また、長時間火災が続いたことにより耐火金庫でさえ燃えてしまったものもあったそうです。日用品のほか、通帳や重要書類も含めた非常用持ち出し袋の準備など、避難後の生活を想定した備えを、今一度家族で話し合っておくことが必要ですね。

火災に強いまちづくり

被災地区は高齢化率が48.8%と、およそ半数がお年寄りでした。消火活動にあたる人手がない中、お年寄り同士が声を掛け合ったことで無事避難ができましたが、地域コミュニティーの在り方が今後の検討課題として挙げられます。消火設備の面でも「埋設の地下式だとどこにあるのか目印がないとわからない、いざという時に蓋がなかなか開けられない」などの問題点も浮き彫りになりました。大火では鎮火宣言の2日後にまた火が出たこともあり、一度火が消えても油断はできないということもわかりました。区内の密集地域を把握し、各家庭に何人いるのか、周囲に可燃物はないか、消火設備はどこにあるのかといった、自分が住んでいるまちの防災情報を確認し、いざという時、駆け付けた消防隊に説明できるようにしておくことが重要なのです。


COLUMN 「法被と拍子木」

江戸時代中期、人口増加により火事が頻発していた江戸の町で、火事場での混乱を防ぐために「いろは48組」という町火消の組織が結成されました。お互いがどこの組の所属なのかを判断するために、組ごとに目印の纏を掲げ、独自の法被を着用していました。これが現在の消防団の制服としての始まりです。拍子木も同じく、幕府から夜警のお触れが出てから使われ始めたといわれており、この二つは町火消から続く伝統として受け継がれています。


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