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復興レポート

インタビュー | 特集
大火のカタリベ11「相澤 和子さん」
2021/07/28

 大町区在住の相澤さんは駅北大火で自宅を焼失。高齢の母親と、隣家で一人暮らしをしていた倉又さんと共に、駅北地区を離れて避難生活を送りました。
 被災後に感じた駅北地区での暮らしについて話を伺いました。


避難の判断

大町区在住 相澤 和子(あいざわかずこ) さん

大町区在住 相澤 和子(あいざわかずこ) さん

 相澤さんがいち早く火災の発生を知ることができたのは、母親と車で出掛けた先で、市から災害や防犯情報を知らせる「安心メール」が届いたからでした。早めに帰宅し、しばらくして外を見ると、道路向かい側の旧本屋さんの屋根からも煙が出ていました。僅かな不安がよぎる相澤さん。それでも、「自宅は本町通りを挟んでいるし、『大丈夫だろう』という気持ちの方が大きかった」と振り返ります。知り合いの大工さんが、「高齢の母親がいるのだから、ブレーカー落として早く逃げて」と伝えに来てくれても「逃げなきゃダメ?」と返答してしまうほど、半信半疑で普段のバッグとリュックに通帳、タオル、ティッシュを簡単に詰め、倉又さんと母親の3人で歩いて家を出ました。夕方近く、相澤さんたちの安否を気遣った友人が、駅の待合室にいた3人を市民会館まで送ってくれました。その後、夜は宿泊環境が整った上刈会館へ避難。鎮火を知らせるメールは、その日のうちに届くことはありませんでした。


感謝と恩返し

 避難所生活から始まり、1年9か月の仮住まいでの暮らし、自宅の再建を経験して、親戚はもちろん、友人や行政等、たくさんの人に助けられたと話す相澤さん。友人から、「今は必要なくても、綺麗なものは見ていると元気が出るから持っておいて」とブランドのハンカチやタオルをもらい、最初は「どうして今使わないものをくれたのだろう」と、戸惑いましたが、実際に再建して、新しいタンスにそのハンカチを置いた時、一気に心が晴れました。「辛い思い出も綺麗な形で残しておけるので、用途以上の効果があると気付きました。被災した女性に物を贈る場合は、こういった未来への贈り物もありがたいよと、人にもおすすめしています」。
他にも、義援金や支援物資を送ってくれた方には、この感謝をどう伝え、どう返していけばよいのかとても悩みました。悩んだ結果、国内で災害が発生した時には、日本赤十字社の災害義援金に協力することで、当時の感謝を忘れないようにしています。


高齢者が自立できるまちへ

 被災後、近所の人や被災者同士で話すことは、相澤さんにとって大きな心の支えでした。ほんの少しの立ち話でも、同じ境遇を味わった人との会話は共感できることが多く、辛い期間でも明るく振舞うことができました。駅北地区に戻ってきてからは、コロナ禍も重なり、話題は日々の生活の大切さやこの地域の不便さについて話すことが増えたそう。「高齢化が進んでいるのは、山間部だけではなく駅北地区も一緒。介護を必要としない元気な高齢者もたくさんいるのに、まちが対応しきれていない」と、現状を語ります。今は車でスーパーや病院に行けていても、体調が悪かったり、雪が降ったり、免許を返納したら、など近い将来を想像しただけでも不安は山積みです。特に「食」に関しては、できるだけ地元産の野菜などを近くのお店で買いたい、地元の商店などを応援したい、といった気持ちを抱えている相澤さんも、今の駅北地区では厳しいと話します。「年をとっても元気でいるには、自立していかなきゃいけないの。若いときには考えたことなかったけどね」と、相澤さんは微笑みながらこれからの暮らしを見つめていました。


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