豊かさ無限大! 雄大な自然に抱かれた いといがわ

高浪の池おやしらず小蓮華山

 紺碧の日本海から、北アルプスの山々まで壮大なスケールで広がる緑の大地。

 糸魚川市には、2つの国立公園(妙高戸隠連山、中部山岳)と3つの県立公園(久比岐、白馬山麓、親不知子不知)があり、その豊かな自然は、訪れた人を圧倒し、魅了します。

 清浄な水と空気、湧き出でる温泉、新鮮な魚介類…自然の営みがもたらす恵みは、私たちの暮らしをやさしく包み、うるおいを与えてくれます。

 そして、平成21年8月22日には「糸魚川ジオパーク」が日本初の世界ジオパークに認定、平成27年3月14日には北陸新幹線糸魚川駅が開業し、首都圏や北陸方面からのアクセスがさらによくなりました。

関連情報
 糸魚川世界ジオパークポータルサイト(外部リンク)
 ジオまる&ぬーなと行く「大地の公園 糸魚川」01(YouTube糸魚川チャンネル)
 ジオまる&ぬーなと行く「大地の公園 糸魚川」02(YouTube糸魚川チャンネル)

ジオパークの大地と海の恵み

 長野県、富山県の県境付近に広がる山岳地帯には、新潟県最高峰の小蓮華山(2,766メートル)をはじめ、登山家・深田久弥の名著『日本百名山』の中に数えられる雨飾山(1,963メートル)、火打山(2,462メートル)が肩を寄せ合い、独特の山容を誇っています。
 起伏に富んだ山々が織りなす景観は美しく、また貴重な高山植物の宝庫として、毎年多くの観光客が訪れています。

 関連情報 観光情報「登山」

 糸魚川市内6か所の海水浴場は透明度抜群!シーズンには、色とりどりのビーチパラソルが浜辺を彩ります。

 関連情報 糸魚川市内の海水浴場

温泉 日本列島を横断するフォッサマグナという地質的な条件は、この地に良質な温泉をもたらしてくれました。
 大自然に溶け込む山岳の秘湯から、人情味溢れる古民家風の温泉、リゾートホテルまで、糸魚川市内には10の温泉が湯けむりをあげ、それぞれ個性的な魅力を楽しむことができます。

 関連情報 糸魚川市内の温泉

農産物 四季の移ろいに合わせ、コメを中心に丸ナスやメロンなどを生産しています。

海産物 海が急に深くなる糸魚川周辺は、絶好の漁場が近く、魚種も豊富です。45キロメートルにもおよぶ海岸線に点在する8つの漁港からは、とびきり新鮮な日本海の幸が水揚げされます。

 関連情報 市公式通販サイト いといがわ逸品市場

 

ヒスイ文化に彩られて

 糸魚川といえば、質・量ともに国内随一のヒスイ産出地、そして、世界最古級のヒスイ文化発祥の地です。
 遥かいにしえの時代、この地は高志(こし)の国、奴奈川(ぬながわ)の郷と呼ばれ、才色兼備の女帝「奴奈川姫」が治めていたという伝説があります。
 『古事記』には、ヒスイを求める八千矛命(やちほこのみこと-大国主命)が、はるばる出雲の国から船団を連ね、奴奈川姫に求婚する恋物語も綴られています。
 また、現存する日本最古の歌集『万葉集』にうたわれているように、ヒスイは古代日本人の精神、生活のよりどころとして大きな位置を占めていました。

まが玉

沼名河の底なる玉 求めて得まし玉かも
 拾ひて得まし玉かも あたらしき君が老ゆらく惜しも

 深々とした光をたたえ、東洋の秘宝と称されるヒスイ。古代ロマンを語りかけるその神秘的な輝きは、今も人々を魅了してやみません。

受け継がれる伝統文化

 ヒスイ製品や石斧などの交易で古代から開けていた糸魚川。
 中世には、日本海に沿って東西を結ぶ加賀街道と信濃へ通じる松本海道(塩の道)が交差し、海上からは北前船が往来する交通の要衝として繁栄しました。糸魚川市内には宿屋や海産物問屋が軒を連ね、多くの人や生活物資が盛んに行き交うなど、海と山、東日本と西日本が出会い交流するまちとして、固有の優れた伝統文化を育んできました。
 今も大事に受け継がれるふるさとの文化は、美しい自然とともに私たちの心の拠りどころとなっています。

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おててこ舞
おててこ舞(根知山寺の延年)

ふるさとを築き、支えた偉人 相馬御風

 童謡「春よ来い」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、そして早稲田大学校歌「都の西北」…。今も日本中で愛されている名曲の作詞者が、糸魚川の文人「相馬御風(そうまぎょふう)」です。

 相馬御風(本名・相馬昌治)は、明治16年7月10日、現在の糸魚川市大町で生まれました。早稲田大学を卒業後、自然主義の牙城「早稲田文学」の編集を担当。自然主義文芸評論家として活躍する一方、三木露風(みき ろふう)、野口雨情(のぐち うじょう)らとともに早稲田詩社を結成し、自由な言葉とリズムによる新しい詩のメロディーを主張する「口語自由詩」を提唱しました。また、明治40年の早稲田大学創立25周年の際に作詞した校歌「都の西北」は、不朽の名作として今も歌い継がれています。
 
 中央の文芸の世界で華々しく活躍していた御風でしたが、大正5年3月、『還元録』を出版して糸魚川へ帰ります。以降の半生は、良寛研究をはじめ、詩歌・随筆の創作や郷土史研究などに励みました。ふるさとの自然や人々をこよなく愛し、優れた詩歌や随筆を残した御風は、昭和25年に67歳で逝去しました。

 御風の全著作は120冊を超え、作詞を手がけた校歌や歌謡は500を超えます。また、短歌結社「木蔭会」を結成して歌人の育成にも努めるなど、市民文化の発展に大きな功績を残しました。

相馬御風


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 相馬御風記念館
 糸魚川の文人 相馬御風のあゆみ(YouTube糸魚川チャンネル)